1994.11.6 菊花賞(G1)優勝時のナリタブライアン
ちょっと256色では荒い画像になりますが、ごめんなさい・・・。
私がその悲報を知ったのは9月27日の日曜日の夕方だった。メインレースのセントライト記念とローズステースクスが終わって、いつものように私の予想がはずれた。あーあ・・・と思いながら、いつものように「競馬のニュースグループ」(競馬についていろいろ議論するところ)に入ってみると「ナリブー死亡」の投稿が寄せられていた。
「そんな馬鹿な!」私は多くの競馬サイトに立ち入って事実確認を行った。やはりどこのサイトも同じようなことをいっている・・・。もう間違いないんだ・・・。本当に死んじゃったんだ・・・・・・。ブライアンは以前に腸捻転を引き起こしたことがあった。これと関係があるんだろうなと思っていたら、胃破裂とのことだった。人間ではあまり考えられないことだ。本当に苦しかったんだろう。苦しみの中でいったい何を考えていたのだろうな。2世代170頭の子供のことなのか、自分が三冠を制したときの喜びか、天皇賞秋の惨敗のことか、高松宮杯の出走のことか、南井騎手の行く末か・・・。すべてのことが走馬燈をよぎったのだろう。
僕にとって初めての三冠馬だった。
僕が初めて見た「強い勝ち方」だった。
初めて僕が後世に語り継げる馬が現れたと感動した。
僕が認めている最強馬メジロマックイーンと互角の強さを持った馬だった。
この馬で競馬のすごさ、楽しさを知った人も少なくないはずだ。この馬の死は生産界に大きな影響を与えたのはまちがいないし、我々競馬ファンにも大きな影響を与えたと思う。「なぜあいつが死ななければいけないんだ」「早すぎる」「かわいそうだ」「ずっと忘れない」の声をネット上で聞いた。
しかし、いくら嘆き悲しんでも仕方がない。次世代のブライアンの仔に期待しよう。彼らはブライアンの血を、魂を、速さを、強さを、そして三冠レースを制した運の強さをも引き継いでいるのだ。きっと重賞レースを、G1を勝ってくれるはずだ。そしてブライアンの血脈を継いでいってくれるだろう。
本当に泣くのはその時にしよう。ブライアンの仔が1勝したときに、重賞レースを勝ったときに、G1を制覇したときに、そして三冠馬となったときに・・・・・・
「ナリタブライアンよ、本当にありがとう!」と。
9月28日朝、スポーツ新聞にて、彼の訃報を見た。体の時計が一瞬止まったように感じた。
僕が、彼の存在を知ったのは、結構遅かったかもしれない。彼が2冠を取った後の菊花賞の前だった。そのころ友人から借りたダビスタを始めたころで、競馬に対してかなりの興味を持っていた。日曜日たまたま家にいた僕は、テレビのスイッチを入れると、菊花賞のスタート前だった。レースの道中はあまり覚えていない。杉本アナの「弟は大丈夫だ!弟は大丈夫だ!」の絶叫が耳に残った。兄のビワハヤヒデが前週の天皇賞で引退したのは知っていたから、余計、耳に残ったのかも知れない。
10年ぶりの3冠馬。そのときは3冠ってことの重さも知らなかった。その後、競馬にのめり込む自分は、<強いブライアン>に対抗する馬たちを応援した。今考えると、常にブライアンの影を追っていたのかもしれない。
しかし、5歳の秋、彼は様子が違った。勝てなかった。彼が走ったレースで、僕が馬券を的中させても、彼が負けると物足りなかった。
6歳春の「平成の名勝負」として名高い阪神大賞典、僕は「馬券も買ってないのに、手に汗握るレース」というのを初めて体験した。ブライアンを応援し、テレビの前で絶叫する自分があった。「<強いブライアン>が帰ってきた」と思ったとき、無性に嬉しかった。本当はブライアンが大好きだった自分を認識した。
その年の天皇賞(春)、僕は少し強引とも思える説得で友人を誘い、京都競馬場にいた。マヤノトップガンとの戦いが見たかったわけではなかった。<ブライアンの歴史>の1ページが見たかった。残念な結果ではあったが、今は僕は満足している。彼の走った歴史を目撃することができたから。高松宮杯で引退してしまったときも残念であったが、次世代の子供たちを残すため「これで良い」と思った。
僕の競馬好きは、彼の走った歴史の中で生まれ育った。だから、ありがとうナリタブライアン。貴方には感謝の言葉というものを、いくら言っても足りないような気さえする。サラブレットの強く、儚く、美しい、そんな世界を教えてもらった。夢をありがとう、ナリタブライアン。
ナリタブライアンの戦績
場所 | レース名 | 距離 | 斤量騎手 | 人気 | 着順 | タイム | 着差 | 上がり | 走り方 | 体重 | 1(2)着馬 | |
函館 | 新馬 | 1200 | 重 | 53南井 | 2 | 2 | 1137 | 0.2 | M373 | 中伸る | 456 | ロングユニコーン |
函館 | 新馬 | 1200 | 重 | 53南井 | 1 | 1 | 1128 | 1.4 | M374 | 楽逃切 | 458 | ジンライ |
函館 | 函館3歳S | 1200 | 重 | 53南井 | 2 | 6 | 1149 | 0.8 | H396 | 中伸ず | 454 | マリーゴッド |
福島 | きんもくせい | 1700 | 良 | 53清水 | 1 | 1 | 1431 | 0.5 | M360 | 中鋭伸 | 460 | ランセット |
京都 | デイリ杯3S | 1400 | 良 | 54南井 | 2 | 3 | 1227 | 0.7 | M351 | 後伸る | 448 | ボディーガード |
京都 | 京都3歳S | 1800 | 良 | 55南井 | 1 | 1 | 1478 | 0.5 | M346 | 好鋭伸 | 452 | テイエムイナズマ |
中山 | 朝日杯3歳S | 1600 | 良 | 54南井 | 1 | 1 | 1344 | 0.6 | H357 | 中鋭伸 | 456 | フィールドボンバー |
東京 | 共同通信4歳S | 1800 | 良 | 57南井 | 1 | 1 | 1475 | 0.7 | M351 | 直抜出 | 462 | アイネスサウザー |
中山 | スプリングS | 1800 | 良 | 56南井 | 1 | 1 | 1491 | 0.6 | M356 | 直抜出 | 460 | フジノマッケンオー |
中山 | 皐月賞 | 2000 | 良 | 57南井 | 1 | 1 | 1590 | 0.6 | M358 | 好鋭伸 | 460 | サクラスーパーオー |
東京 | 日本ダービー | 2400 | 良 | 57南井 | 1 | 1 | 2257 | 0.9 | H362 | 好抜出 | 468 | エアダブリン |
阪神 | 京都新聞杯 | 2200 | 良 | 57南井 | 1 | 2 | 2122 | 0.1 | S345 | 中伸も | 470 | スターマン |
京都 | 菊花賞 | 3000 | 稍 | 57南井 | 1 | 1 | 3046 | 1.1 | M343 | 中鋭伸 | 470 | ヤシマソブリン |
中山 | 有馬記念 | 2500 | 良 | 55南井 | 1 | 1 | 2322 | 0.5 | H348 | 4角先 | 476 | ヒシアマゾン |
京都 | 阪神大賞典 | 3000 | 良 | 58南井 | 1 | 1 | 3082 | 1.1 | S339 | 好鋭伸 | 472 | ハギノリアルキング |
東京 | 天皇賞・秋 | 2000 | 良 | 58的場 | 1 | 12 | 1594 | 0.6 | S357 | 追上退 | 466 | サクラチトセオー |
東京 | ジャパンカップ | 2400 | 良 | 57武豊 | 1 | 6 | 2253 | 0.7 | S354 | 中漸進 | 468 | ランド(独) |
中山 | 有馬記念 | 2500 | 良 | 57武豊 | 2 | 4 | 2341 | 0.5 | S356 | 追上退 | 478 | マヤノトップガン |
阪神 | 阪神大賞典 | 3000 | 良 | 59武豊 | 2 | 1 | 3049 | 0.0 | S345 | 直競勝 | 486 | マヤノトップガン |
京都 | 天皇賞・春 | 3200 | 良 | 58南井 | 1 | 2 | 3182 | 0.4 | S355 | 直一先 | 478 | サクラローレル |
中京 | 高松宮杯 | 1200 | 良 | 57武豊 | 2 | 4 | 1082 | 0.8 | H342 | 後伸る | 478 | フラワーパーク |
戦績/21戦12勝(12−3−1−5)。 獲得賞金/10億2691万6000円(引退当時歴代1位)
生産/早田牧場新冠支場
所有者/山路 秀則氏
調教師/栗東・大久保正陽
主戦騎手/南井克己
父=ブライアンズタイム(米) 母=パシフィカス(米)(byノーザンダンサー)
1993年最優秀3歳牡馬 1994年年度代表馬&最優秀4歳牡馬
1997年JRA顕彰馬として殿堂入り(史上24頭目)
ナリタブライアンの血統
(4代血統表)
ブライアンズタイム 1985 |
ロベルト 1969 |
HAIL TO REASON 1958 |
TURN-TO 1951 |
NOTHIRDCHANCE 1948 | |||
BARAMALEA 1959 |
NASHUA 1952 | ||
RARELEA 1949 | |||
ケリーズデイ 1977 |
GRAUSTARK 1963 |
RIBOT 1952 | |
FLOWER BOWL 1952 | |||
GOLDEN TRAIL 1958 |
HASTY ROAD 1951 | ||
SUNNY VALE 1946 | |||
パシフィカス 1981 |
ノーザンダンサー 1961 |
NEARCTIC 1954 |
NEARCO 1935 |
LADY ANGELA 1944 | |||
NATALMA 1957 |
NATIVE DANCER 1950 | ||
ALMAHMOUD 1947 | |||
パシフィックプリンセス 1973 |
DAMASCUS 1964 |
SWORD DANCER 1956 | |
KERALA 1958 | |||
FIJIU 1960 |
ACROPOLIS 1952 | ||
RIFIFI 1954 |